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引退ブログ③坂口豪

 こんにちは!人文学類4年の坂口です。

 同期2人のブログから遅れること4ヶ月ほど経ちましたが、ようやく卒業ブログに手をつけたいと思います。(マネージャー、本当にごめんなさい…)

 

 これまでの人生を思い返せば自分は常にやるべきことを、期限ギリギリまで後回しにしてきました。夏休みの宿題は毎年最終日に泣きながら取り組み、日付が変わるまでが期限のレポートを23:59に提出するなんてことはザラにあります。ファミレスに行っても、メニューを決められず、周りの人が店員さんに伝え終え、最後に自分の番になってようやく決断する始末です。

 将来に深く関わる卒論に至っても、その悪癖は遺憾無く発揮され、教授に言われていた完成の目標期日から遅れること3日後、約50時間不眠での執筆の末に、最終期限の30分前に提出しました。流石に痺れましたね。執筆終盤では心拍数も上がって、過呼吸になりかけてました。

 毎度毎度こんなことになってしまうのは、自分が極度の優柔不断だからだと思います。数ある選択肢からどれにするかという決断や、実際に行動に移す決断をとにかく後回しにしてしまいます。

そんな自分が同期の誰よりも早く決断したことがあります。フィールドホッケー部への入部です。同期よりも1ヶ月ほども早く入部したのですが、なぜホッケー部への入部はこんなにも早く決断することができたのかと考えると、練習に参加したり先輩方の人となりに触れ合って、「ここしかない!」とビビッと来るものがあったからだろうと思います。

そして卒業する今になっても、その決断は間違っていなかったと心から思えます。

 中高時代はサッカー部で、部員数も多かったため試合への出場機会に恵まれず、公式戦があってもチームへの貢献ができているという実感があまりありませんでした。毎日の練習は試合に出るための練習だという意識が強く、試合で活躍するための練習という意識は低かったと思います。そのため、実際に試合に出ると浮き足立って良いプレーができないことも多く、その結果試合で使われにくくなるという悪循環に陥っていました。

 一方、ホッケー部は人数が少なく、まだ入部を決めていない段階から公式戦に連れて行ってもらい、試合に出させてもらえました。まだルールも曖昧にしか理解していませんでしたが、ホッケーというスポーツの空気感やこのチームが目指す形の片鱗を感じることができました。入部後は、試合に出ることは当たり前という状況で、「試合でこんなプレーをしたい!」というモチベーションで練習に取り組むことが自然とできました。これはホッケーを上達するのに近道だったと思いますし、練習を楽しめる一因になっていたなと思います。教職の授業やゼミが大変でストレスが溜まっているときも、ホッケーが息抜きになっていました。中でも試合に出られることが何よりの楽しみで、筑波は人数が少ないことに長年悩まされていますが、実は交代枠が無くフル出場できることが嬉しかったりもします。

 それだけにホッケーができなかったコロナ当初の時期はもどかしかったですし、3年の秋リーグが始まる2週間前に右足首の靱帯を怪我した時はかなり精神的にも辛く、みんなが練習や試合を重ねていきチームとして強くなっていく間、ただ外から見るしかない自分に歯痒さ、やるせなさを感じていました。今も怪我の後遺症で、右足のアキレス腱に違和感があって、足が疲れやすくなったり、痛みがあったりといったことがあります。

 ただ、この期間に筑波の試合を外から客観的に見られたことは復帰後のプレーにも良い変化をもたらしたと感じています。最後の年は戦術も習熟して、自分が経験した4年間の中でチームとしても個人としても最も良いホッケーができていたんじゃないかと思います。

 3年の冨樫が中心となって筑波なりの戦術を考えて、試合毎に改善をしていくことで、相手を色々なアプローチで崩すことができるようになり、また、守備の安定感も増して、チーム全体がしっかりと機能するようになった印象があります。自分も臆さずにボールをキープしたり捌いたりできるようになり、群馬大戦では念願のゴールを決めることもできました。それまでCFでありながら1ゴールも決めることが出来ず、チームにも迷惑をかけているな、と感じていました。ゴール前のこぼれ球を押し込んだ1ゴール目と、ドリブルで突破して決めた2ゴール目は、自分が4年間FWとして特に意識して練習してきたことが凝縮されたようなゴールだったので、これまでの自分の努力が報われたような気がして格別に嬉しかったです。4年間のホッケーを振り返って一番の瞬間です。

思えば自分は4年間を通して部内でもかなり自由にやらせてもらってた人間でした。同期が責任を持ってチームを運営したり、雰囲気を締めたりする中、くだらないボケやチョケを連発しまくっていました。部員のみんなは時には鬱陶しいと思うこともあったかもしれませんが、好き放題にやらせてくれてありがとうございました!

 ホッケー部の雰囲気を一言で例えるなら、こたつですかね。自分はこたつに入ってテレビを見てる年末年始のあの時間が好きなんですよね。あの時間だけはどんなにダラダラしてても許される感じがあって。自分のやりたいままにやっていられるのがこたつに入ってる時なんですよ。すみません何言ってるか分かりませんよね。私も分かりません。

 ともかく、ホッケーがいくら面白いスポーツでも、部の雰囲気が悪ければ入部することはなかったので、人に恵まれたなとしみじみ思います。先輩から後輩まで、部活以外でも一緒にいたいと思うような人ばかりで、ご飯や遊びに行ったり、同じバイトを紹介してもらったりと濃ゆいお付き合いをたくさんさせてもらいました。サッカー班やスイーツ班、深夜ラジオ班、ドラマ班、自転車班など部内の色々な班での活動はどれも楽しい思い出ばかりです。

 中でも同期の2人は、太田が乃木坂好き、小野村がゆず好きで、いつもオタク話に付き合ってもらったり、ライブに一緒に行ったりしてくれました。この2人には遊びだけでなく悩みを相談したりすることも多く、互いに支え合える良いトリオだったなと思います。2人とは、同期になれて本当に良かったなと思っています。

 

 最後に、ホッケー部の先輩方、後輩、同期のみんな、若井監督、その他練習や試合でお世話になった方々、支えてくれた家族に改めて深く感謝申し上げます。お世話になりました。

 これからも練習や試合にお邪魔することもあると思いますが、また自分のくだらない話に付き合ってくれると嬉しい限りです。